NEC PC
 追記と小修正(030111, 090110, 180102)
1.イメージと初仕事
1)コンピュータて何?
これもいつだったかなぁ?小学6年だったと思うが,電子計算機なるものが
初めて世に出てきた。なにも理由なく漠然とこれからはそれが多用される時代
が来るのではないかと,その時だけ,感じてはいた.
月日がだって,フォートランの本をわけも分からず買ったが・・・・
読んでもチンプンカンプンだった.
大学に入って授業の一環として幾つかのコースが設定されていた.何を血迷
ったか,コンピュータのコースは選ばず,物理を選んでしまった(爆). しば
らくたって友人がBasicを扱ってるのを見て,”しもた”と後悔した.

2)Basicとn+1
その後はすっかりコンピュータの事は頭から抜けて,勉強しまくり(何の
?て聞かんといてくださいよ). 無事国家試験もなんとか合格して某大学病
院の内科研修を始めた.ある時えらい先生(講師)がナースステーションに来て
    "コンピューターに興味のある人いないか?"
てなもんでその先生の部屋に連れて行かれて,初めてTK-80なる物を見た.
    "何をやってみたい?" 
と聞かれても分からず とりあえず大学の時に苦労した統計計算と答えた・・
のはよいが,何がn=n+1 やねんと(爆)
本も貰ったが やっぱり理解不能・・ 以後は何も無かった(笑). 

そうそう,このHPでも書いた通り(Drへの道の項)文字タイプは,英文の論文
を書くはめになった事で本当のタイプライターの操作やキー配列を覚えざるを
えなかったので,戸惑う事は無かった. それでも後で一番戸惑ったのはチルト
" ~ "キー(爆)の場所.

3)初めてのPCと仕事と
日本でPCといえばPC9801. 欲しいと思った頃の最新型はPC9801VM2でプリン
ターを含めてべらぼうに高い. 悩んだ末,家のローンと一緒に組んでもらっ
た(25年ローン).
スペックは驚くなかれ 


PC9801 VM2
 CPU  NEC V30 10MHz
 メインメモリー  512Kb
 いわゆるメモリ  無し
 HDD  無し
 メディア  5インチFDD x2
 OS  N88 ベーシック
 グレードアップ  1)IODATA  128Kb RAMボード   
 2) IODATA  2Mb RAMボ−ド   
 3) 20MbHDD造設(win3.1 非対応)   
 4) XY プロッター    
 5) OS MS-DOS3.3


これは名機だと思うな! PC8801のファイルが読めたし,
走るプログラムもあった(早過ぎて何が起ったか分からんかったけど). 

この頃には日本語?のMS-DOS 2.11のシステムディスクがマルチプラン付きで
手に入るようになり,DOS版の新一太郎(一太郎Ver3)も発売された.
最初にやった仕事は,勉強会のスライド原稿を一太郎で書いたのかな.
その頃から,まっすぐな線を引けない僕は図表作りのソフトを探していた.
今では簡単に出きる事ができず,"こんなソフトを作ってください" と
ジャストシステムに手紙を書いたりした(粗品が届きました).
結局,XYプロッターとキャンディ4を使って図表を書いていた.

2.一筋縄では
config.sysとautoexec.batそして640Kbの壁(笑)
まだハードディスクなど無い時代には 1つのソフトを終えるたび,フロッピー
ディスクを差し替えて個々のソフトを走らせていた(懐かしー!). フロッピーを
変えてそのソフトの実行ファイルを走らせると,動くのもあれば動かないものも
ある. 何故?と考えてる内に 今でも多少問題なそれぞれのドライバーを
組み込んであったリ,そのソフト固有の環境を整えないと動かず,それは
connfig.sysとautoexe.batに書いてある事がわかってきた.
それならば使うソフトに必要なドライバーと環境を書いたフロッピーディスクを
作っておけば後は再起動無しに使える!! なんとすばらしいアイデア(爆).
さっそく作って動かしてみると
  動かない!!
そりゃーそうさソフトの使う容量と合わせると640Kbを越えてるやん・・
そんなもん最初から分るかい(爆).
なんの事は無いまた最初に後戻り・・・
この頃からマルチタスクに憧れてはいた(笑)
そんなこんなで解決法はHDD増設しかない!
しかーし・・・環境はそう簡単に変わるものでもない.
その頃,多くの人が同じ思いをしていたのか,ソフト毎に環境を変えられる
コマンド(MSDOS)が加えられ,設定にもがきながらなんとか使えるようになった.
バッチファイルをたくさん作りました(笑).
月日は流れ3〜4年後,(CPUは80286から80386へ)さすがのV30も遅くなり,
PC9801 RA21を購入(誰かさんに了解を得ず;爆). 

PC9801 RA21
 CPU  インテル 80386 20MHz
 メインメモリー  640Kb
 RAM  2Mb
 HDD  20Mb(前のまま)
 メディア  5インチFDDx2
 OS  MS-DOS 3.x.
 グレードアップ  OS MS-DOS 5.x


3.ゲームにのめりこむ
たまたま親友宅へ遊びにいった時,(彼とはエアーガンで打ち合いをしたり, 
戦争シミレーションボードゲームをしたり,今もPCで時々してますが)
置いてあったのはPC8801,ゲームは戦争シミレーションばかり(笑)
さらに,Cancer Fighting というテープで動くゲームを紹介され
感動!! 
目の色が変わったσ(^_^)は,頭の中で密かにPC8801の購入を決意!!
これもその目で周りをみるとあるもんで,同じ教室(血液免疫内科;
白血病,リウマチなど血液の病気を診る内科)の女医さんの御主人
が(家族ぐるみで遊んでいたのですが)もう使っていない8801を売ってもよい
と言ってくれて早速購入,さらに後輩から使っていない無印PC8801をタダ 
同然で購入し,システム完成.

PC8801 mrkIISR
 CPU  Z80?
 メインメモリー  64Kb
 メディア  5インチFDDx2   
 +カセットテープ
 OS  N88 ベーシック   
 N1 およびN2? ベーシック   
 3種類あった.
 グレードアップ  OS MS-DOS 5.x


で,CancerFighting(白血病を治すゲーム)と今でもある
  A列車で行こう(PC8801用初版)
を夜中にやりまくって,こりゃーこのままではいかん
ということで,PCでのゲームは慎もうと決意しました. 
今は電源すら入ってませんが数年前はちゃんと動きました.

4.擬似マルチタスク(笑)
ちょうどその頃 ウインドウズ386なるものが出てすぐに飛びついた.
マルチタスクとはいうものの窓は一つしか開かず.使いずらかった記憶が
あります.数少ない正式購入したOS(爆).   

5.仕事の環境が変って
それまではPCを(仕事で)使う頻度は多くなくて,今みたいに毎日電源を
入れる事は無かたっし,PC自体も余り使わない部屋に設置してあった(笑).
とある理由(Drへの道の項)で職場を変わったのだが,そこでは仕事でPCを
使わざるをえず(といっても一太郎とデータベースが主),職場でも文章を
書く頻度が増えて ノートを購入

98ノートSX/E
 CPU  インテル 80386 18?MHz
 メインメモリー  640Kb
 RAM  1Mb
 HDD  40Mb
 メディア  3.5インチFDDx1
 OS  MS-DOS 5.x
 グレードアップ  HDD 200Mbへ


  さらに時代はWIN3.1
  の時代へ突入・・ちゅうことで

PC9801 RA21 グレードアップ
 1)CPU コプロ  IODATA i80486 40Mhz+コプロ
 2)HDD  ロジテック 40Mbに(Win3.1対応)   
 さらに120Mbに変更
 3)メモリー  4Mb
 4)グラフィックボード  IODATA アクセラ(普通のモニターで400x600可)
 5)OS  Win3.1+MSDOS 5.x

  今現在も動きます(090110)動きません(180102)

6.結局
一番使ったのはノートで,結構原稿を書きました(笑).
データ-ベースも一杯データをためました..
アスカ というソフトですが早いし,イメージ通りの操作で
マルチプランや他のどのデータベースより使いやすかったです.
メインPCでは1kbでもメインメモリーを増やそうと血のにじむような
努力をしたもんです.
FATを変えるプログラムを探してきたり(HDDの1クラスタを2KBにしたり,
日本語変換を上位メモリへ持っていったり・・(笑)

7.心に残っているソフト
1)フロッピー1枚で動く一太郎 Ver3
2)使いこなせなかったけどアスキーの
  マルチタスクモニター(DOSで320Kb以内のソフトが二つ動きます).
3) PC8801用 Cancer Fighting
4) 同      A列車で行こう
5) 同      IDOS システム
  (PC8801でDOSライクな操作)
6)PC9801 データベース アスカ

そしてさらに PCの進化は目覚ましく Win95の時代へ・・

8.追記:180102
現在,ここに書いてあるハードウエアはすべて無い.
数年前,久しぶりに動かそうと思って電源を入れたが,動かない.で,処分
する事にした.シミレーターもあり,ソフトはすべてどこかに置いてある.
ゲームは止めたつもりだったが,A7もA9も動いている(;^_^A アセアセ…

追記のきっかけは,PC関連の事をすべて任せられる技術部長に出会えたこと.
詳しくは後述するが,彼のおかげでPCのOSもパーツも変わり,順調に動作
している.
2009年に一応できあがっていた構成が諸事情で破綻し再構築は半ば諦めていた.
やり直す意欲が出て来たのも,2009年のPC構成図が現在と全く違っていて,
技術部長が”ぜんぜん違いますね”と言った事がきっかけになった.
休みが数日取れることも有り,一念奮起して作業を始めた.そして,ようやく
2017/12/30に考えていた通りの動作が戻った.