初めての自作PCとオーダリングシステム導入への関わり
 制作,小修正と追記(030111, 090110, 180102)
1.分進秒歩

コンピュタ技術の進歩はめざましく,新製品ラッシュ.
CPUのクロックは半年の間にどんどん上がるし,周辺機器もしかり.
そんな頃,小さな町の病院に出向する事となった.
生活の上でも単身赴任することとなり
所属部署にとっても,自分にも初めての事だらけで
最初は余裕などあるはずがなく,宿舎の電話の回線も事務用である事等の
理由で,DOS/VのPCは家に置いていくこととなった.

1年目の終わり頃,少し余裕も出来てきて,赴任延長も決まったことから
2台目(宿舎用)のPCを考えるようになった.
仕事には電話は必須で,その頃早かったのはISDNで,
事務用の設定のため接続料は高くなるが病院の許可を得て128kbに加入した.
ちょうどそのころ,金沢に初めてPCの専門店(パソコン工房)がopenしたので
さっそく相談しにいったところ,とても感じのよい店員さんで,
その店で一式そろえることにした.


初めての自作機(ケースは今も使っている;180102現在も)
 CPU  slot1 Celeron 300A 300MHz
 マザー  Abit BH6 (簡単にオーバークロックが出来た)
 途中から300を430MHzで駆動
 メインメモリー  640Kb
 メモリ  128Mb
 HDD  6Gb
 メディア  3.5インチFDD x1   
x6 CDROM
 OS  Win95 →Win98SE
 グレードアップ  1)PntinumV 500→800MHz(slot1)   
2) 1倍速 書き込みCDROM+DVD(再生のみ)   
3) HDD増設8G    
4) voodoo3000(まだ今もあります)   
5) DVD-ROM(再生のみ)   


このマシンは一番酷使したにもかかわらず,最近まで動いていた.
導入当初はダウンロードばかり.

一方 75MHzのノートは無理がたたってか,OSが起動しなくなり
どうしようもなく,修理に出した.
結果はマザーの交換を要す(見積もり8万円) ご愁傷様.

2.世間知らずが大海へ -VRML-との出会い
自作PCを得て半年後 主流でないPC雑誌にとあるチャットが載っていた.
売りは3Dで疑似Hができるという.
さっそく登録をしてチャットルームに入った.
何も知らない人との会話は世間知らずの自分に取っては難しく,
姿を見せるだけで発言などほとんど出来ない.
さらに,参加している人たちのタイプの早いこと.
それでも 一般社会と同じように,気を使ってくれる人もいて
少しずつ会話に入っていくことができるようになっていった.
副産物はタイプが早くなったこと(笑).

これも,一般社会と同様にみんなから頼りにされてる人や,好かれてる人,
いろんな種類の人がいて,何人かの人にお世話になった.
その人に,VRMLのプラグイン(ビューアー)の設定や操作を教えて貰った.
VRMLでは確かに 3Dで人が動く
プログラムはテキストで書くことが出来,少し本を読めば,球体などは簡単に
動かすことが出来た.
これが自分で3Dチャットルームを作りたいと思ったきっかけとなる.
それ以外には,長男がゲームボーイをかった事からエミュレーションに凝り
任天堂64のエミュのため,voodooを購入した.この時点でGB,NES,SNES,
そして64がPC上ですべて動くようになった.

3.オーダリングシステムとの関わり
1)静観を決める
初めてこの病院へ来た時にはすでにオーダリング導入は決まっていて,
委員会もあった.少しビビっときてシステム構築に参画したい気はした.
それでも,すべて決まってることだし,ぐぐっと押さえて静観することにした.
ちょうど仕事や病院の中での動きが把握でき,喋ることが出来はじめた頃
オーダリングの導入がはじまった.

2)協力要請
まず処方(投薬)オーダーから始まった.処方箋枚数は内科が最も多く,
薬剤部長が 使用する薬や約束処方,その他細かな取り決めを考えるのに
頻回に内科を訪れるようになった.
仕事が終わってから薬剤部に行き,いろんな事を相談されるうちに, 
問題点が山のように噴出し,その解決に向けて協力要請があった.

3)闇の委員会
メーカー側も,保険請求からみた最良オーダーは把握しておらず,
病院側は全く初めてのことで何をどうすればいいのかすら解っていなかった.
もう一つの大きな問題点は,OSにウィンドウズを使ったPCを使ってる人が
2〜3人しかいなかったことであった.
そんな中,薬剤部員,事務の中から一人,と内科2人が毎夜集まるようになり
ワイガヤ形式で問題解決の方策を練った.
薬剤部単独で決定して良いことはどんどん決めていった.しかし病院全体のこと
なので,どうしてもメーカー側のソフトの改変,病院として決めなければなら
ない事が噴出してきた.
相談した結果,メーカーのSE,病院として決定権を持つ副院長に来てもらい,
約束事を決めていくことにした.
こうなると,どれがほんとの委員会なのか解らなくなってきた.

3)オーダリング委員会の立ち上げ
この頃には,集まってきた有志全員が成功させようという思いがあり,
さらに各部署から人員を選出して病院の決定機構としての委員会が立ち上がった.
どういう分けか,とりまとめ役になってしまった.
すでにオーダリングを経験していたことが非常に役に立った.
それぞれの部署もオーダリングがどういうものであるかを理解してくれるように
なり病院全体が組織として動けるようになっていった.
個人的には,SEの人達やそれぞれの部署の人達と接することができるようになり
病院全体の事が深く解るようになり,仕事がさらにやりやすくなった.加えて,
LANやプログラムのことも多少解るようになりPCに対するスキルアップができた
時期であった.こういうわけで,実験用のPCを扱わせてもらうことになった.
この間,臨時収入を得て,dell製Inspiron 4000ノート(CPU Celeron 600 OS:
win98SE)を購入し.これで仕事場でも自分のPCを使うことができるようになった.

4.人との繋がり(1)
どの組織も同じで,その中で動いていると,一生懸命にやってくれる人が出てくる.
院長や町の病院代表者も全面的にバックアップしてくれたし,
メーカーのSEさんは会社の方針とは関係なく改善に努力してくれた.
特に事務の代表者,検査部の代表者は骨身を惜しんで推し進めてくれた.
送別会の時には涙を流しながら堅い握手をかわした.
今でも,後者3人とは付き合いがあり,遊びに行ったり来てくれたり.
相互の信頼で結ばれた気持ちは長続きするものだ.
そういうこともあって,話の中でその道のプロにも解らないことを聞くことができ,
個人的にしたい事が少しずつ出来ていった.多くの解決方法を教えて貰ったが,
PC98RA31とWindows98SE間でのLANの構築は,もっとも印象に残っている.

5.人との繋がり(2)
人口も少なく,過疎が問題の地域ではあったが,遅ればせながら
ネットの24時間接続サービスも開始された.
そして,こんな小さな町にパソコンショップができたのだ.
そんなわけで,週に1回は通うようになって,かなり話すようになった.
そんな中で予想もしなかったことが解ったのだ.何を隠そう
初めての自作PCを組み立ててくれたその人本人だったのである.
グレードアップはすべてその店から購入した.
途中からからジャンク品も扱うようになりその店でBH6の中古が出て即購入.
足りない部品を継ぎ足して2台目の自組み立てPCが完成した.
さらに,その方が結婚するという・・・
お相手は,交流のあった薬剤部員である事を聞いてまたびっくり.
世の中面白いものだなと感じていた.


自作2号機(1号機と同じケースを購入:180102も使用中)
 CPU  slot1 Celeron 300A OC:430MHz
 マザー  Abit BH6(中古,bios update)
 メインメモリー  640Kb
 メモリ  128Mb
 HDD  8Gb
 メディア  3.5インチFDD x1   
 x6 CDROM
 OS  Win95+98SE up-grade



6.追記:180102
この時の検査部員とSEさんとは,昨年(2017)夏にも会うことが出来,昔話に
花が咲いた.SEさんは別会社に転勤し,電カルを作っている.充分実力は
あるのに,仕様をどうしたらよいか意見を求められた.
今でも,彼等と一緒に仕事をしたいと思っている.