こんなこと 徒然なるままに語ってみようかな
神さま
小学校一年の時,自営業をしていた父がアルバイトを頼む事になり,その方が初めて
家に来られた.名前を聞いた僕は,その方の作業着にボールペンで名前を書いて怒られ
たのだが,とても世話好きな方で,その後の僕に大きな影響を与える人になった.
ユーミンの歌に出てくるように,父ではなく兄ちゃんのような,何でも出来てかなわない
神さまだった.父もその方に絶大な信頼を寄せていて,彼が一緒ならどこへ行くのも許して
くれた.
Sportの項で書いたように,いわゆるスキー場という場所に連れて行ってくれたのも
神さまだった.
今から40年前の時代に,アクアラングはするし,散弾銃の免許も取るし,ラジコン
飛行機も作って飛ばすし,地元の氷った池でスケートはするし・・・
何という人だろうと!
そうそう,隣町にできたスケート場へも神さまに連れて行って貰った.そこで,
フィギァとホッケーそしてスピード用の靴がある事も知ることができた.

小学低学年の頃の娯楽といえば”ぼくら”とか”少年画報”とかの月刊漫画誌だった.
多くの場合,”ふろく”なるものが付いていて,たまたま買った本のふろくに紙で作る
ゼロ戦が付いていた.独りで作り始めたが小学生にはやや細かすぎた.眠くなって朝を
迎えるとそのゼロ戦が完成していた(父が作ってくれていた).それを神さまに自慢げ
に見せるとある時,ちょと行こうか と町へ連れ出された.そこはこれまで知らなかった
プラモデル店で,この街にもこんな店があると感激したのを覚えている.
その当時のモデルは殆どが第二次大戦中の兵器だった.その中で飛行機のモデルを二つ
プレゼントしてくれた.それからプラモデルが大好きになり,何か買って貰うときは
必ずプラモデルにした.小さい物が好きなので,空母の搭載機が何であるか気になり
調べたこともある.聞いた事の無い名前が出て来たし,こんな事も戦争映画や兵器に
興味を持ったきっかけだったのかも知れない.

ある年,巷には1/87レーシンガーがはやりだした.その年のクリスマスになんと八の字
のベーシックセットが手元にあった.神さまからのプレゼントだった.ガイドは付いて
いるものの線なしで車が動くのはとても面白かった.車やレール(道路)を買い足して
レイアウトを考えたり,車のガイド(前後に二つ付いている)後部を外してドリフト
させたりして楽しんでいた.この時にトランスの原理や,通電の知識も理解できたように
思う.その後1/24スケールに移っていくのだが,世界の名車を知ることができたし,
F1への興味が芽生えたと思う.ロータスフォードとか・・・

当然ながら,結婚式にも来て貰った.
家庭を持ってから,1/87で4車線の鈴鹿サーキットバージョンを買って子供と楽しんだ.
実際に鈴鹿サーキットでF1観戦もし,イベントではゴーカートでコースを一周した.
長男はさらに詳しくなり,F1の現状も把握している.

地元に帰ってきてからは早速お呼び出しがかかり,夜の街を案内してくださった.
今でも”まこちゃん”と気軽に声をかけていただいています.
このように,自分がやっていることの多くは神さまがきっかけになっているんだなと
つくづく思う.

感謝しても仕切れないほど多くの事を学ばせてもらったし今でも助けて貰っている.
日々の生活で大事な場面では必ず神さまが傍にいてくれる.これほど心強いことはない.
(Memory-002参照)